ジャニー喜多川氏の訃報報道 ジャニーさんの生い立ちは?座右の銘は?

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本日6月22日現在、ジャニー喜多川氏の訃報報道は流れていません。

しかし、ネットではすでに亡くなられており、23日に発表するらしい、という情報が錯綜しています。

ジャニーさんのような芸能界の大物が亡くなったのであれば、すぐにテレビのテロップなどでも流れると思いますが、そのような状況にはなっていません。

なぜなのでしょうか?

マスコミ・報道関係がジャニーズ事務所に忖度しているからなのでしょうか?

 

日刊サイゾーでは、

「緊急搬送された18日から22日までは連日のようにジャニーズタレントが絡むイベントがあった。そのため、“重大発表”があれば、タレントのイベントのニュースをつぶしてしまうので、それは避けることにしたようだ。」

と書いています。

 

たしかに、

「永遠の0」や「海賊とよばれた男」などで主演のジャニーズ事務所V6のメンバー、岡田准一の映画「ザ・ファブル」が、6月21日公開となっています。

これらのことがあって、遅れての報道となっているようです。

 

追記

6月27日発売の「週刊文春」、「週刊新潮」、「女性セブン」の記事によりますと、ジャニー喜多川氏は、救急車で緊急搬送された際には意識レベルが低下し、呼びかけにもほとんど反応せず、非常に危険な状態だったそうですが、現在は持ち直しているようです。

真偽についてはテレビなどで何も報道されておらず、一部の雑誌の情報だけで相変わらず不明ですが、一刻も早くご回復されることを願っています。

真偽不明の情報を流してしまい申し訳ありませんでした。

追記2

7月1日、ジャニーズ事務所はジャニー喜多川氏が6月18日、くも膜下出血で入院。解離性脳動脈瘤の破裂によるもので、現在も入院治療を続けているとの発表がありました。

一日も早くご回復されることを祈っています。

追記3

7月9日、ジャニー喜多川氏が死去しました。

一時は、一般病棟に移るほど回復していたとのことですが…

心からご冥福をお祈り申し上げます。

ジャニー喜多川氏の座右の銘

ジャニー喜多川氏の座右の銘は、

「ショー マスト ゴー オン!」

ショーは、何があっても続けなければならない!

 

まさに、座右の銘をそのまま実践、生涯現役を貫いた人生でしたね。

 

ジャニー喜多川氏の生い立ち

ジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川氏は、父親が高野山真言宗米国別院の僧侶(喜多川諦道第三代主監)だったことがあり、その関係でアメリカのロサンゼルス市で生まれています。

 

母親は栄子さんといい、日本人なのでハーフではありません。

 

本名: ジョン・ヒロム・キタガワ (John Hiromu Kitagawa)

漢字表記: 喜多川 擴(きたがわ ひろむ)

生年月日: 1931年(昭和6年)10月23日 87歳(2019.6.22現在)

姉: メリー喜多川氏

兄; 喜多川真一氏(故人 科学者)

 

アメリカで幼少期を過ごしたジャニーさんは第二次世界大戦時、アメリカ人にとっては敵だった米国系日本人が収容されていたところから、第一次日米交換船(昭和17年6月18日ニューヨーク出港)に乗って帰国します。

 

一家は、はじめ大阪で生活後、ジャニーさんら子供たちだけが和歌山県の那智勝浦町へ疎開したそうです。

 

ジャニーさんら三兄弟は戦後、再び米国籍を維持するためにカルフォルニア州へ渡り、ジャニーさんはそこで米国のショー・ビジネスに魅せられていったようです。

 

美空ひばりのアメリカ・ロサンゼルス公演では、父親の勤務先の真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院が会場となったことからひばりさんとの交流も始まり、日本の芸能界への進出のきっかけにもなったようです。

 

ところが、米国民だったジャニーさんに第2次世界大戦後朝鮮半島で起こった、朝鮮戦争での兵役が課せられます。

 

陸軍犯罪捜査局情報員(実際の仕事は通訳)として駐日米国大使館に勤務することとなりましたが、兵役解除後に再渡米することはありませんでした。

 

かつて美空ひばりさんの米国公演に圧倒された経験から、彼は祖国日本でジャニーズ事務所を創業するのです。

ジャニー喜多川氏のご冥福をお祈りいたします

 

震災後、宮城で復興コンサートを開いてくれる嵐を育てたジャニーさん、

震災後、福島で農業などの復興にいそしむTOKIOを育てたジャニーさん、

一刻も早くご回復されることを願っています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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