山寺立石寺で松尾芭蕉に出会える3ヵ所 お食事処の紹介

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俳聖松尾芭蕉の「おくのほそ道」によれば、

旧暦五月九日に、松島

旧暦五月十三日に、平泉で

「夏草や 兵どもが 夢のあと」

「五月雨の 降り残してや 光堂」

旧暦五月十四日に、宮城県鳴子温泉から山形県新庄市に抜ける尿前の関(しとまえのせき)で

「蚤虱 馬の尿する 枕もと」

旧暦五月十七日に、尾花沢

旧暦五月二十七日に、山寺で

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」

の句を詠んでいます

その後最上川を下り、出羽三山、鶴岡、酒田、象潟を訪れています。

山寺から下界をのぞむ

こちらの記事では、山寺立石寺内にある松尾芭蕉に出会える3ヶ所や、やまでらの名物をご紹介いたします。

 

おっと、その前にクイズを一つ。

隠れミッキーならぬ、隠れお釈迦様

このかわいいお釈迦様、山寺のどこかで瞑想にふけっているのですがどこでしょうか?

山寺のかくれお釈迦様

これから山寺にお出かけになる方は、探してみてくださいね。

答えは最後に・・・

 

山寺で、松尾芭蕉に出会えるのは以下の3ヶ所になります。

山寺で松尾芭蕉に出会える3ヶ所

1.根本中堂の脇 芭蕉句碑

登山口を上って真正面にある根本中堂の左脇に「芭蕉の句碑」があります。

山寺の芭蕉句碑

あまり目立ちませんので、忘れないようにね。

 

2.宝物殿の向い側 芭蕉と曽良の像

根本中堂から日枝神社を過ぎ、宝物殿の参道向いにあります。

山寺の松尾芭蕉と曽良の像

松尾芭蕉と同行した河合曽良、句碑もあり撮影スポットとなっています。

 

3.仁王門へ向かう途中 せみ塚

登山道(参道)をのぼっていき、弥陀洞や仁王門のちょっと手前、左側にあるのがせみ塚です。

むかしは、この辺りにちょっとした休憩所があり、売店で「玉こんにゃく」を売っていたのですが、今は朽ち果てた小屋があるのみです。

現在もイスは置いてあって休憩はできます。

山寺のせみ塚

芭蕉が「閑さや …」の句を詠んだのは、当時ふもとにあった宿坊と言われています。

その後、芭蕉に連なる弟子たちが山寺を訪れ、芭蕉が「閑さや …」の句の着想を得た場所はここではないか?と、芭蕉の遺した短冊を土台石の下に埋め塚を立てたものがせみ塚です。

 

「閑さや …」のセミは何セミ?

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」

のせみは何せみ?については過去に論争が起こっています。

1926年歌人で精神科医の斎藤茂吉が、この句のせみは「アブラゼミ」であると雑誌で発表したことから文学論争が始まりました。

小宮豊隆は、閑さや岩にしみいるという語はアブラゼミに合わず、時期的にも旧暦が五月二十七日は新暦で七月十三日に当たりアブラゼミは鳴いていないとして、「ニイニイゼミ」であると主張しました。

 

ちなみに、

斎藤茂吉は山寺にも近い現山形県上山市出身。

「モタさん」こと精神科医で随筆家の斎藤茂太、「ドクトルマンボウ」こと精神科医・小説家の北杜夫の父親です。

小宮豊隆は独文学者、文芸評論家。

夏目漱石の門下生で、「三四郎」のモデルとして知られる人物です。

 

2年越しの論争は科学的問題もあり決着はつかず、持越しとなりました。

その後茂吉は実地調査などの結果をもとに1932年6月、誤りを認め、芭蕉が詠んだ句の蝉は「ニイニイゼミ」であったと結論付けたのでした。

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山寺の名物

山形というと板そば、玉こんにゃく、芋煮などが有名です。

山寺でも美味しいお蕎麦がいただけます。

板そばは、板状の長方形の木箱に1人前より多くのそばが入って供されるお蕎麦です。

ざるそばのように「縁がこぼれませんように」、仕事や人との関わりが「板につきますように」という思いも込められた食べ物だとされています。

 

山寺周辺のお店のおすすめマップ(pdf)

山寺のおいしい蕎麦屋

瀧不動生そば

美登屋

 

今回は美登屋さんで食べようと思ったのですが、山寺を降りてきたら夕方でそばが売り切れていました。

そこで、対面石さんでそばをいただくことにしました。

対面石さんのメニュー

山寺対面石さんのメニュー

  • ゴールデンウィーク中の混雑時だったので芭蕉膳は売り切れてました
  • 芭蕉焼だんごは人気があるようで、結構テイクアウトしている人がいました

対面石さんの板そば

山寺対面石さんの板そば

  • 量としては1.5人前ほど

対面石さんの山菜天ざる

山寺対面石さんの山菜天ざる

  • この時期の山菜、行者ニンニク、あまどころ、こごみなどレアもの含まれていてグッド!

この店の名前にもなっている「対面石」ですが、店のとなりにあります。

 

対面岩とマタギの祖 磐司磐三郎

慈覚大師円仁がこの地に山寺を開くにあたり、この地域を支配していた狩人でマタギの祖と言われる磐司磐三郎(ばんじばんざぶろう)とこの大石の上で対面し、仏道を広める根拠地を求めたと伝えられています。

 

磐司磐三郎は、猿王(日光の猿麻呂)の子で、はじめは宮城県側の秋保温泉のずっと奥、二口渓谷で狩りをしていました。

磐司磐三郎伝説が残る磐司岩

*写真は二口渓谷の磐司磐三郎伝説が残る磐司岩

後に、現在山寺のある所に居を構えるようになりました。

陸奥の国から二口峠を越えて出羽の国に向かった慈覚大師円仁は、現在山寺のある地の幽玄な山容と清冽な川の響きにここを天台仏教の東北本山にしようと決意し、この地の首領である磐司磐三郎に熱い想いを語ったのが対面石でした。

お互い話し合うなか、ともに下野(現在の栃木県)の同郷であることがわかり、大師の志と仏教の徳にも感銘を受けた磐司磐三郎は、山寺開山に全力を尽くして助力したそうです。

 

磐司磐三郎は晩年、山寺が宗教活動の聖地となると狩猟の生業が成り立たなくなり、秋田に移住したと語り継がれています。

狩人をやめたことを喜んだ動物達が磐司に感謝して踊ったという伝説のシシ踊りが、毎年8月山寺磐司祭で奉納されています。

 

かくれお釈迦様クイズの答え

正解は、開山堂から五大堂へ向かう途中

山寺開山堂から五大堂へ向かう

五大堂入口手前、左側にある小さな社の縁の下でした。

かくれお釈迦様クイズの答え

これから山寺にお出かけになる方、ぜひ探してみてくださいね。

きっといいことがありますよ。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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