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風呂吹き大根(ふろふきだいこん)の名前の由来は?
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大根は品種改良が進み、今でこそ1年中食べることができますが、本来の旬は冬の11月~2月頃です。
冬の大根料理と言えば、おでんと風呂吹き大根(ふろふきだいこん)ですね♪
大きな輪切り大根を茹でるか蒸すかして、田楽みそやゆず味噌などをのせて食べる風呂吹き大根は、寒い時期にからだの芯から温まる料理。
「風呂吹き」は俳句の冬の季語にもなっています。
今では風呂吹きというと「風呂吹き大根」が思い出されますが、江戸時代以前は、大根の代わりに蕪が使われていました。
また、冬瓜を使った風呂吹きや、奈良のほうでは柿を使った風呂吹きもあるそうです。
いろんな「風呂吹き」料理がありますが、
この風呂吹き大根の名前の由来について調べてみました。
風呂吹き大根の名前の由来は?
風呂吹き大根の名前の由来はいくつかあります。
この記事では、その中から代表的な物をいくつか紹介いたします。
そのものずばり!お風呂が由来
昔のお風呂は、現代のように湯をはって入るものではなく蒸し風呂でした。
熱くなった体から垢をこすり落として清潔さを保っていました。
この風呂屋に、
体に息を吹きかけ、口で拍子をとりながら垢をこすり落とす専門業者がいました。
この人たちを「風呂吹き」と呼んでいたのです。
この「風呂吹き」が
お客さんの熱くなった体に息を吹きかける様子と
蒸した大根や蕪をフーフーしながら食べる様子が
似ていることから
「風呂吹き大根」「風呂吹き蕪」
と呼ばれるようになりました。
出典
安楽庵 策伝(あんらくあん さくでん 戦国末期~江戸前期の高僧)の話から
安楽庵 策伝は、説教にも笑い話を取り入れ落語の祖ともいわれる
蒸気を用いた蒸し風呂は平安時代末期からありました。
お湯をはって浴槽につかる形式のお風呂は江戸時代初期になって現れました。
この形式のものは風呂ではなく「湯屋(ゆや)」と呼ばれ風呂とは区別されていました。
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漆職人の仕事内容が由来
「風呂」の名前の語源に、物を保存するために地下に作った部屋である「室(むろ)」からきているという説があります。
漆職人は、漆器に塗った漆を乾燥させるため、蒸気で満たした専用の部屋に漆器を入れてました。
この室(むろ)を、「風呂」と呼んでいました。
しかし、空気が乾燥する冬は、風呂の中もなかなか湿気が上がらず仕事の効率が落ちて困っていたそうです。
ある日、お坊さんから
「大根のゆで汁を風呂に吹き込むと、漆の乾きが早くなる」
と聞いた漆職人はさっそくやってみます。
聞いたとおりにやってみたところ、
大変効き目がありました。
でも、ゆでた大根は自分のところでは食べきれません。
近所に配ったところ喜ばれ、風呂吹き大根と呼ばれるようになったというものです。
出典
虚南留別志(うそなるべし)天保5年(1834年)
木屑庵 成貨(もくせつあん せいか)という人が書いた小説
大根そのものが由来
大根が身体に良く、安くて経済的でもあったため
「不老富貴(ふろうふき)」から名が付いた
というもの。
出典不明であり、よくありがちな後付けっぽいですね。
安楽庵 策伝の笑話集「醒睡笑(せいすいしょう)」より
先に紹介した垢をこすり落とす「風呂吹き」。
安楽庵 策伝の笑話集「醒睡笑」では、
こんなお話しが載っています。
『醒睡笑』巻之八
太閤御所、風呂に御入りありつるを、蜂屋伯耆守、「御垢にまゐらん」とて吹かれけるやう、「知行くれい知行くれい、知行くれい知行くれい」と、拍子にかかり興を尽されし。(太閤秀吉は)そのまま蜂屋を捕らへ、「是非吹かん」と仰せある。(蜂屋伯耆守が)さまざま辞退せらるるを、無理に吹かせ給ふやう、「奉公せい奉公せい、奉公せい奉公せい」と。作意のはやさ短舌にのべがたし。
太閤秀吉が風呂に入っていると、
蜂屋伯耆守(はちやほうきのかみ)が、
「お垢を落としましょう」
と、息を吹きかけては、
「知行(所領)くれい、知行くれい」
と拍子を付け、面白おかしく垢を落とした。
すると太閤も、蜂屋をつかまえ
「おれも是非吹いてやろう!」
と仰せられた。
蜂屋は、いろいろと辞退したが、
無理やりつかまえ、息を吹きながら
「奉公せい、奉公せい」
と言われた。
さすが太閤さん。頓智でも負けてません。
時代背景から見ても、風呂屋の垢すり業者である「風呂吹き」から生まれたというのが有力ですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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